なんと、昨夜の食卓時。いつもはキッチンにいるコバエがわれわれを包囲し始めました。あっちの方においしそうなものがあるぞ!とニオイを嗅いでやってきたのでしょう。
でも、こちらだって負けられない。
夫は本領発揮。
食べ始めてから食べ終わるまでに、5匹ほどいた彼らをことごとく倒したのでした。
もう、完全勝利です。
ながかったコバエとの戦いも終わりました。
みなさん、ここ数日間、コバエ話にお付き合いいただきありがとうございました。コバエ話は、本日で終了となります。
さて、今日は佐渡島についてお話ししつつ、4日目を振り返りたいと思います。
佐渡島は日本の縮図
ジェンキンスさんのイメージしかなかった佐渡島。行ってみたら、わたしの好きな風景が溢れていて過ごしやすく、歴史は古くて他にはなく、自然は豊か。食もおいしい。
特別なことをしたわけではないけども、島を一周ドライブして、街を歩いて、島の人とお話ししただけで、完全にロックオンされてしまいました。
しかしながら佐渡島のことをご存知ない方、実は多いと思います。地元の方のお話、佐渡観光ナビ等を参考に、簡単にご紹介したいと思います。
気候
佐渡は日本海側最大の島で、東京23区や淡路島の1.5倍あると言われています。気候は四季に富んでいて、夏は高温多湿。冬は寒い印象でしたが、佐渡沖を流れる対馬暖流の影響を受けるため、積雪は少なく新潟本土のような厳しさはないとのこと。地元の方も、「佐渡は過ごしやすいよ〜」とおっしゃっていました。
歴史
遺跡の出土品から、佐渡には1万年前から人が住んでいたことがわかっているとのこと。奈良時代にはすでに一国とされ流刑地に定められていた佐渡には、順徳上皇や日蓮聖人、能楽の大成者である世阿弥など、中世までは政争に敗れた貴族や知識人が流されてきたようです。
歴史の授業で聞いた覚えのある名前ばっかり
そして昔から金が採れる島として知られていた佐渡は、江戸時代に入ると、徳川家康が本格的に金銀山開発を進め、採掘された金や銀が江戸幕府の財政を支えたとのことです。
自然
約300万年前から続く地殻変動で生まれた佐渡。日本の海岸地形がすべてそろっており、地形自体が日本の縮図と言われているそうです。
そして特にわたしが惹かれたのは、本州側では2,000メートル級の標高でないと見ることができない山野草の群生が1,000メートル以下の標高でも見ることができるということ。この独特な環境から、植生においても日本の縮図と言われているようです。4日目に宿泊した宿の女将さんにも、佐渡教科書を用いて力説していただきました。
高い山に登れない人でも、初心者向けのトレッキングで多種多様な山野草を楽しむことができるなんて!
朝はゆるりと過ごし、佐渡金山へ出発
佐渡島について少しだけご紹介したところで、旅行記に戻りたいと思います。
この日、夫は5:00に起床して釣りへ。そして7:30の朝食に一旦戻ってきて、チェックアウトぎりぎりまで再び釣り場へと繰り出したのでした。奄美ではGTなどの巨大魚を磯から釣る夫ですが、やはり佐渡は初めての場所。釣果はみなさんのご想像にお任せいたします。
海を眺めながらの朝食に、朝から胃も心も満たされたわたしたち。ちなみに、もうこのときには完全に仲直りしていますのでご安心ください(笑)
さて、昨日の投稿で割愛した相川町。
相川町は江戸時代に金銀山開発で佐渡が賑わいを見せたとき、佐渡奉行所がおかれていた佐渡の中心地です。日本全国から人が集まったため、最盛期には5万人にものぼる人が住んでいたとか。
この夜宿泊した宿の女将さんは、わたしたちに地図をみせてくれながら「この狭い、狭い場所に5万人も!5万人も住んでいたんですよ!今となっては想像できませんね〜でも、住んでいたんです。しかも職業ごとにエリアが分かれて。面白いですね〜」と話してくださいました。
古い街並みでお寺が多く、ただ散歩するだけで楽しめた町です。事前に歴史をもっと知ってまわれば、面白さが倍増したなと悔やまれます。が、またいつかの楽しみにとっておこうと思います。
なんででしょう、わたしが撮った写真では街並みの良さが伝わりません。何度撮影してもしっくりこず、撮影は諦めたのでした。
さて、佐渡金山はこの相川町を通過して、ラピュタの城に出てくるような北沢浮遊選鉱場跡を通り、少し山道を進んだところにあります。
普段観光は好んでしない夫もジブリ好きの血が騒いだのか、楽しそうに前のめりになって写真撮影を楽しんでいました。
天気がよければトレッキングへ行きたかったのですが、あいにくの曇り・雨模様。そのため、気になっていた金山へ。
気になっていたとは言っても、旅はいつも行き当たりばったりのわたしです。佐渡金山で何ができるのかリサーチせずに出かけたのは、いつものこと。到着してから、「何があるんだろうね。ここなら雨降っても大丈夫そうだよね」と窓口へ。
金山には宗太夫坑、道遊坑、山師ツアー(事前予約必須)の3つのコースがあり、われわれは明治から平成元年の操業中止まで約100年間使用されたという道遊杭のコースを選び、金山内部へと誘われたのでした。
金山、入ってみたら肌寒い。というか寒い。ひんやりした空気の中を進んでいくと、不穏な音とともに心臓の動くような「ドクッドクッ」という音が奥から聞こえてきます。
一定間隔に置いてある金山についての説明札を読みながらも、その音が気になって仕方ないわたしたち。
何?おばけ屋敷じゃあるまいし、なんだろうね?悲鳴聞こえない?
なんだろう、恐竜?
といった会話を繰り広げながら進んでいくと、原因となるものがありました。
壁に謎のプロジェクションマッピングが映し出され、不穏な音が出ていたのです。写真では伝わりませんが、奥に大きな目が映し出されて瞬きをしていました。
きっと、佐渡島の世界遺産認定へ向けた、最新技術を取り入れた金山の取り組みなのでしょうが…必要性がよく分からなかったLovesandでした。(でも、それはそれで楽しませていただきました)
再びあらわれた巨大なプロジェクションマッピング。ブラックホールの如く、吸い込まれそうでした。
と、プロジェクションマッピングに惑わされながらも、予想以上に金山についての歴史が面白く、ついつい長居してしまいました。
坑道を抜けてからも当時の様子が伺える展示会場などや神社等があり、最後まで飽きませんでした。お土産コーナーで、50万円する純金の小判を買いたくなったのは、言うまでもありません。
ハネムーンだし、記念に…
とはもちろんならず、チョコの入った偽金貨さえも買わずに、お土産コーナーをあとにしたのでした。
海岸線を南下して、宿根木へ
相川・佐渡金山で2時間ほど楽しみ、正午には宿根木へ向けて出発。「何を食べようか〜お店探しながら行こうか」と話しつつも、目の前に広がるのは柿と田園と民家ばかり。それこそがわたしの好きな風景なのですが、お腹が空いているときは少し訳が違ってきます。
しかしながら結果的に、宿根木に何かあるでしょ!となり、お腹をすかせたまま南下したのでした。
宿根木って何?どんな場所?と興味のある方は、宿根木を愛する会のこちら(宿根木とは)のページをご覧ください。
さあ、宿根木探検へ。
古い街並みが残る、宿根木。
ただ散歩するだけでわくわくする街並みって、すばらしい。
今は使われていない郵便局。
上から見た宿根木。広くない場所に民家等が密集していて、やはりここでもわたしは隠れんぼがしたくなったのでした。
絶対、楽しいはず。
でも、これだけ密集していると、火事が起きたら大変です。ですから、地域をあげて防災活動への取り組みがしっかりとなされているみたいです。
昔ながらのかわいい消火栓。
のんびりと街を歩きながら、飲食店を探すも、そもそも数店舗しかなく。観光客もまばらで、一見してお食事どころというお店は開いておらず。
お腹すいたよ〜となりながら、「仕方ない!お抹茶・ぜんざい・コーヒーとしか書かれていないけど、茶房やましたってところに入って空腹をみたそう!」と思って、大正解。
宿根木出身の宿根木愛あふれる気のいいおじちゃんと色々と話せただけでなく、ピザにありつけたのでした。
おじちゃんに会いに、またピザを食べに行きたいものです。
ちなみに、宿根木ではたらい舟に乗れるようです。わたしたちは乗りませんでしたが、どなたか行かれる際はぜひ。
宿根木探検も終え、この日おさえていた佐渡の真ん中あたりに位置する民宿桃華園に、あえて遠回りとなる海岸線に沿って向かうことにしました。これで、佐渡島の海岸線は1周ぐるりと回ることになったのです。
悪天候で、すれ違う車もまばらな旧道をすすむわたしたち。通常だと1時間ほどで着く距離を、2時間以上かけて目的地へと進んだのでした。
途中、かもめの大群と出会う。
もうこのときは夕暮れ時。
数時間前にピザを食べたはずなのに、もう夜なに食べよっか、と。旅あるあるでしょうか。
佐渡島にきてまだ満足に海鮮を食べていなかったわたしたちは、佐渡の回転寿司ですぐに話がまとまったのでした。
ネットで調べれば調べるほど、回転寿司屋さんにワクワク。食べれるだけ食べよう!と心に決めて、本日のお宿である民宿桃華園にチェックイン。
この日もほぼ貸切状態のお宿。愉快な女将さんが、「3分でわかる佐渡島の話!聞きたいですか?」とおっしゃるので、「ぜひとも!」と答えたところ、あっという間に20分ほど経過していました(笑)女将さんの話、楽しかった。
いただいたトキ牛乳もおいしかった。(写真はフェリーで撮影したもの)
そしてお部屋に案内していただき、少し休憩したのが間違いでした…
え〜!!!21時だ!!!
と、知らぬ間に寝ていたわたしたち、横に眠っている夫を起こす。
この瞬間、「ああ、回転寿司…」とあんなに楽しみにしていた佐渡島での夕食がなくなってしまったのでした。
5日目は、福島へ!
コメント